大阪高等裁判所 昭和53年(う)1844号 判決 1979年9月07日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人井上治郎作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第一、事実誤認ないし法令適用の誤りについて
論旨は、要するに、本件の文書である参考人調書は、未だ供述者である被告人の署名押印を了しておらず、従って未だ公務所の用に供する文書とはいえない。また、この調書は違法な参考人取り調べのもとに作成されつつあったものであるから、被告人の原判示所為は違法性を欠如するものである。従って、これらの点を看過して被告人を有罪とした原判決には、事実の誤認ないし法令適用の誤りがある、というのである。
そこで調査するに、
一、原審および当審で取り調べた証拠によれば、本件文書は自動車窃盗被疑事件の参考人として取り調べられた被告人の京都府太秦警察署の司法警察員渡辺善隆に対する供述調書で、二枚づつ複写したもの三葉からなり、未だ供述者は勿論、右司法警察員の署名押印もなされていない作成中の未完成のものである。そしてこれを調書作成の手続からみれば、読み聞けが二葉についてなされ次いで三葉目に移ろうとした段階に在ったものであって、このとき突如被告人が渡辺の手から先の二葉(複写の分を含めて計四枚)を奪うようにとって、右調書の右辺中央よりやや上あたりから左辺上部のあたりへかけて二つに引き裂いたことが認められる。従って、右供述調書は未完成のものではあっても、司法警察員渡辺善隆が同警察署の公権力作用として、職務権限に基づいて作成中のもので、本文は一応完成して文書としての意味、内容を備えるに至っていたものであるから、本来公務所において現に使用している文書にあたるものとして、刑法二五八条にいう公務所の用に供する文書に該当するべきものである。
二、しかしながら、論旨のいうように、右調書の作成を一内容とする被告人に対する右取り調べ手続が違法であるならば、右調書が同条の文書に該るかどうかは問題であるから更にこの点について検討をすすめる。前叙証拠によればつぎの事実が認められる。
(一) 被告人は、昭和五三年三月二七日午前〇時三〇分頃から京都市右京区太秦のモーテル「広沢」に覚せい剤の常習的使用者である甲野ハナ子と同宿したのであるが、止宿した部屋の天井裏で物音がするとか、同室をのぞくものがあるというて騒ぎたてたので、同日午前一〇時二五分頃同モーテルから太秦警察署へ「もめごと事案発生」の旨の電話がされ、警官が急行して事情聴取にあたったところ、被告人が異常に興奮していたため何ら処置をとることなくそのまま帰署した。
(二) 警官は帰署したうえ、被告人が同モーテルに駐車していた普通乗用車マツダルーチェ京五五り一八四四号につき賍品照会をしたところ、この車については秋田貴美子こと玉貴順より、三月六日、午前八時から同日午後七時までの間に同女方ガレーヂから盗まれた旨の被害届が同月一八日付で九条警察署に提出されていることが判明した。そこで同署員二名が再度同モーテルへ赴き被告人らの部屋へ入ってくわしい理由を明さず、ただ署まで来てくれるよう要請したのであるが、被告人は出頭を求める理由が不明確だとしてこれをことわって警官を部屋から追い出した。
(三) その後の一一時五〇分頃、右渡辺善隆警部補が同モーテルへ赴き、被告人の部屋の外からいろいろやりとりをし右自動車に盗難被害届が出ているので署まで来て、その入手の事情について説明して欲しい旨告げたため、被告人は同人を自室へ入れ、この車は二五万円で買入れた旨等説明したあと、太秦署まで任意同行することを承諾した。
(四) そこで被告人は、パトカーに乗せられて署まで赴いたのであるが、同車には後部座席の被告人の両側に警官が座るという情況であった。
一二時五〇分頃、被告人は同署に着き、直ちに刑事部屋の奥にある四畳半余の取調室の奥に入口の方を向いて座らされ、机を間にはさんで吉岡巡査部長が被告人と対面して坐わり同人の左側に、すなわち被告人の出入する通路にあたる出入口に近いところに和多巡査が座り、吉岡から自動車の入手経路について取り調べを受けたが、被告人は知っている限りの事実を少しずつ供述し、これに応じ吉岡が方々に電話で照会したり、被害者を署に呼んだり等してその裏付をとっていったので、被告人が右窃盗の犯人でないことが判明するまでに午後四時頃までを要した。
(五) 右のように、被告人が犯人でないことが判明したので、吉岡はこれを被告人に明言し、その後は署内の事務分配の都合上、吉岡に代って渡辺警部補が被告人を右窃盗事件の参考人として取り調べ、被告人が吉岡に供述し、同人が裏付をとった事実につき参考人調書を作成することになった。被告人は意に添わなかったけれども、右調書作成の必要性を一応理解して、初めのころは渡辺にきかれるままに吉岡に供述していたことを比較的すらすらと供述したため午後五時頃までに右事項である本件調書の本文の殆んどが記載されてしまった。しかし、これから先へは調書の記載が進まなくなった。というのは、例えば代金の支払場所について被告人が渡辺の尋問に応答しても渡辺がそのまま記載しなかったため、押し問答的状態が続いたからであり、このとき以後渡辺は供述をうながすことと前記自動車の任意提出書を作成提出させることとを併行するようにして被告人に対峙していたが、被告人は、前者については同じことをくり返ししつこく尋ねられるばかりで供述しても何ら記載してくれないとして憤慨し、後者については友人に義理を欠くことになるからといってその作成を拒否するのみならず(任意提出書については、たまたま取調室をのぞいた甲野ハナ子が早く作成するよう勧めても頑強に、その作成を拒否している。)、必要なら右自動車を同署に置いて帰ると主張し、あげくは、このように調書の作成が進まないのなら取り調べはこの程度に止め、続きは明日来るのでその時にして今日は帰らしてくれ、帰れないのなら同署に泊めて欲しい旨、すなわち取り調べの拒否と取調室に滞留することの拒否を言動で明確に示すに至った。しかし渡辺はさらに執拗に尋問を続行し、特に任意提出書の即日作成を要求し、これを書けば帰すとまでいうて説得と押問答をくり返していた。
(六) このような状態を約四〇ないし五〇分続けたが、どちらも進捗しないばかりか、被告人がときどき大声を張りあげて反抗し、これを警官が三、四人掛りで押え込む様な事態が生じていたことから午後五時五〇分頃になり、とうとう渡辺は、調書の記載の進まないことをしった吉岡の進言により調書の続きを翌日とることにして、当日の取り調べを打切ることにし、当日の調書をひとまずそのままで完結することにした。そこでその旨を被告人に告げ、このときまでに記載した調書を被告人に読み聞けをしようとしたところ、被告人はこれに署名押印をしないことを明言したのであるが、これにかまわず読み聞けをすることにし、調書の二葉(計四枚)を両手に持ち被告人に見えるようにしながら読み聞けを終え、まさに机上の三葉目に移ろうとした矢先、被告人が長時間の取り調べによる疲労と渡辺の強引さ執拗さに対する憤慨から、「こんなもんなんじゃ」といいざま前叙のように引き裂き出口に向って走ったが、出口にいた和多巡査に制止された。そのときすぐ、渡辺は「これでいこう」というて被告人を公務執行妨害と公文書毀棄の現行犯で逮捕した。
(七) 被告人は取り調べを受けながら当日の昼食を摂り、吉岡の取り調べの際の小用のときも、また渡辺の取り調べの際の牛乳を自動販売機で買うときも、それぞれ警官の監視を受け、さらに取調室においても終始少くとも一人の警官に見張られており、特に渡辺の取り調べのときには殆んど和多巡査が取調室出入口にいたもので、結局、被告人は前叙現行犯逮捕されるまで、同署内では終始一人以上の警官に監視されていた。
(八) 被告人は同署へ赴く前から警官に対し非協力的であり、同署へ赴いてからも、採尿に応ぜず、取調室においても大声をあげて反抗したり、尋問を無視してだまりこんだり、狸寝入りの如き態度をとったりしていたが、午後四時頃、甲野ハナ子が本件車両のこと等について同署で取り調べを受けたことをしるや、被告人との約束に違反するという理由でこれについて大声をあげて同署のやり方を非難したときには、隣室からかけつけた者も含めて四、五人の警官に「なめるな」という趣旨を口々にいわれて取囲まれ、机上にあった被告人の帽子とメガネを投げ飛ばされるようなことがあった。
以上認定のように、被告人が同署への同行を決意するまでに警官がとった用件の告げ方の不親切なこと並びに同行要求の強引さ加減、これが昼食時をはさんで執拗になされていること、任意同行の方法が被告人の自動車があるにもかかわらず、これを利用させずにパトカーに乗せ、しかも前叙のような人数と方法で拘束と監視をなしていること、署内における取り調べの状況が被告人の非協力的・反抗的態度があったにしても、取調室で二人の警官同室のもとで行われ、常に少くとも一人の警官の監視付であったこと、食事、用便、牛乳購入及びその飲用のときも常に同様監視付であったこと、同署の被告人に対する取扱は前叙現行犯逮捕のときまで終始同じ意向、姿勢のもとに一貫していて変化がなかったこと、被告人は窃盗の嫌疑が晴れ参考人として取り調べられておるとき、少くとも午後五時以降は当日の取り調べの続行と調書完結の拒否、同署からの退去希望および翌日の出頭と取り調べに応ずることを言動で明確にしているにもかかわらず、渡辺においてこれらの訴を真面目に顧慮することなく、また被告人の住所が確定していることを知っていたにもかかわらず、即日の調書の完結と特に任意提出書の取得に拘泥するあまり、ついに被告人が大声をあげて反抗する都度取調室をのぞいて被告人をなだめていた部下の吉岡から取り調べを打切ったらよい旨の進言を受けるまで、執拗に被告人を前記両面にわたり追及したこと等の事実を総合勘案すると、被告人が右窃盗事件の重要な参考人であって、未だ渡辺独自の取り調べ事項も残っていたこと、さらに任意提出により自動車を確保しておくのが普通の捜査方法であったこと、渡辺において被告人を右のように追及した熱意・気持については理解の余地があること、捜査に非協力的のみならず反抗的な参考人の取り調べであっても説得によって捜査に協力させるよう努力を続けることは当然許容されること等の事情を充分斟酌しても、少くとも本件自動車窃盗犯人の嫌疑が晴れて後の被告人に対する取り調べ、従って渡辺の取り調べは、参考人である被告人の意思を制圧し、身体的自由を拘束した実質的逮捕と同視し得る情況下においてなされたものというべきである。このことは被告人が取り調べを受けるにあたり非協力的・反抗的態度をとりつづけたことによっても何ら消長を来すものでない。ちなみに、被告人は反抗をしたけれども、被告人としては、即刻退去したり取り調べを峻拒したりすることのできない、すなわちこれらをあきらめざるを得ない情況下に置かれていたものである。従って被告人に対する右取り調べは、任意捜査である参考人取り調べの限界を逸脱した違法なものであって、その程度も何人も不法に逮捕されないという基本的人権を侵害する重大なものである。
すると、本件参考人調書は、右違法な取り調べの過程において作成中のものであり、まさに公務員たる司法警察員渡辺善隆が公務所の作用としてその職務権限に基づき、被告人を前叙窃盗被疑事件の参考人として任意に取り調べるという職務行為にあたり、この職務を違法に執行しながら作成中の未完成文書であり、換言すれば、これを完成させるために現に違法に使用中とされる文書であるから、このような取り調べが続行している限り、かかる未完成文書はこの取り調べに包含される作成行為すなわち使用行為とともに、刑法上の保護に値するものではないと解するべきである。
しかして、右調書は、公務所において現に使用している文書といえず、刑法二五八条の保護の対象としての「公務所ノ用ニ供スル文書」に該当しないと解するべきである。
してみると、被告人の本件調書の前叙引き裂き行為を、公文書毀棄罪をもって問擬した原判決は事実の認定を誤りひいて法令の適用を誤ったものであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は結局理由がある。
よって、他の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決をする。
本件公訴事実の要旨は「被告人は、昭和五三年三月二七日午後五時五五分ころ、京都市右京区太秦峰岡町所在の京都府太秦警察署刑事課取調室において、同署勤務の警部補渡辺善隆(当三八年)が被告人から盗難車両に関して事情を聴取の上録取した参考人調書を両手で持って同人に読み聞かせ中、いきなり右調書を前記警部補の手から奪い取り、両手でこれを引き裂き、もって公務所の用に供する文書を毀棄したものである。」というのであるが、前叙の理由により、本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。
(裁判長裁判官 原田修 裁判官 池田良兼 近江清勝)